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ビートとはなにか?






ビート・ジェネレーション

ビートとは簡単に言えば、1950年代にアメリカの若者の間で広まった対抗文化的なライフ・スタイルだ。まあ、社会にうんざりした若者達が、「大人には理解できないだろうが、俺達には俺達の生き方や価値観があるんだ」と主張し始めた。そんな世代がビート・ジェネレーションと呼ばれる様になっていった。




ビートニク

それでは、この”ビート”という言葉がどこから来たのか?
時は1944年、三人の男が出会った事から話は始まる。

 
ウィリアム・バロウズ

 
アレン・ギンズバーグ
 
 
ジャック・ケルアック

この3人の出会いから、後の
すべてのポップ・カルチャーの原点である「ビート」が生まれたのだ。

The Birth of the Beat

1945年、ピーター・ハンケがこの言葉を
 
「だまされる」
 「イカサマ」
 「金を盗られる」
 「金に困っている」

などと、表現される事を知り、それを上記の3人に教えた。
3人はこの言葉がえらく気に入ったらしい。
すでにアメリカ社会に対し、対抗文化的精神を育んでいた彼らはこの言葉を流用しこう解釈した

So I guess we are beat generation
 
俺達は社会に裏切られた世代だ!(ケルアック)

そして1948年
ジャック・ケルアック”ビート・ジェネレーション”という表現を使い出したのだ。

ビート・ジェネレーション → 裏切られた世代

        ビートニク → その世代の若者


と、こういった過程を経て、
”ビート”という言葉が誕生したのだ。


その後のビート・ジェネレーション




So I guess we are beat generation

1952年、NYタイムズでジョン・クロレン・ホームズが
”This is the Beat Generation
と、題された記事の中で
ジャック・ケルアックの言葉を紹介した。





ビート文学

ケルアックの言葉が全米に紹介されてまもなく、彼らの出版物が世の中に流出する。

1953年 ウィリアム・バロウズが「ジャンキー」を発表。
(後にデヴィッド・クローネンバーグが映画化 「裸のランチ」)

1955年 アレン・ギンズバーグが「吠える」を発表。
(発売禁止になる)

1957年 ジャック・ケルアックが「路上」を発表。



中でもジャック・ケルアックの「路上」は出版されるや大ベスト・セラーになり、彼の言葉である
”ビート・ジェネレーション”は全米中に広まっていった。

こうした彼らビート作家の活躍により、
”ビート”はその後の60年代、70年代を生きた若者達のカルト・バイブルとなっていった。


ビート映画


一連のビート文学、またはビート作家・詩人達の活躍により、若者の象徴となった”ビート”は映画界にも大きな影響をもたらしてきた。




ビート系俳優

1950年代前半、反抗する若者のシンボルとして持ち上がってきたのが、アクターズ・スタジオ出身の俳優達だった。モンゴメリー・クリフトマーロン・ブランド、そして今や伝説となったあのジェームズ・ディーンもその一人だった。彼らは世に幻滅し、因習化した思想や常識的な生活習慣に反抗するような、若者を演じ、絶大な支持を得た。





ビート系監督


ビート映画の登場とヌーヴェル・ヴァーグ

1950年代後半、今までの撮影スタイルを一蹴する、新しいスタイルでハリウッドに対抗した映画が作られた。それらの代表がジョン・カサヴェテスであり、またロバート・フランクであった。ヨーロッパでは”ヌーヴェル・ヴァーグ”(新しい波)としてジャン・リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォージャック・リヴェットなどが頭角を現した。





アメリカン・ニューシネマとヨーロピアン

1960年代後半から70年代にかけて、アメリカではアメリカン・ニューシネマとして、デニス・ホッパーアーサー・ペンジョン・シュレンシンジャーロジャー・コーマンらによって、その系譜は受け継がれる。

ヨーロッパではヌーヴェル・ヴァーグの進化的存在である
ヨーロピアン・ビートが生まれる。ミケランジェロ・アントニオーニヴィム・ヴェンダースなど、ロード・ムービーを主としたアメリカ(ビート誕生の地)への憧れを表現する作品が作られた。





ネオ・ビート

1980年代に入ると、ビート系作家やビート系監督たちの作品に影響されて育ってきた世代が現れる。それがネオ・ビートだ。ジム・ジャームッシュヴィム・ヴェンダースと同じく”ロード・ムービー三部作”を発表。ガス・ヴァンサントは麻薬中毒の若者を描いた「ドラッグストア・カウボーイ」の中で、ウィリアム・バロウズを出演させている。(やはり、往年の麻薬中毒のじいちゃんを演じている)





90年代ビート

スコティッシュ・ビートと香港ビート

1990年代、”ビート”はさらに広く解釈され、世界中で表現されてきた。イギリスではダニー・ボイルがやはり麻薬中毒の若者を描いた「トレイン・スポッティング」を発表。香港ではウォン・カーウァイ「欲望の翼」「ブエノスアイレス」をヒットさせている。ウォン・カーウァイは日本でもカルト的な人気を誇り、特に渋谷系と呼ばれる人たちに支持を得る。





ビート文学は1950年代に、3人の若者達によって始まった文化であり、その後現在までそれらに影響された映画は絶えず発表されてきた。それはこれからも変わらないことだろう。現代までに映画化されてきた一連のビート映画たちはどれも素晴らしく、魅力的だ。しかし、それは現在の私達が”若い”からこそなのかもしれない。しかし、だからこそ今しか味わえないかもしれない映画を”今”見ておくべきなのだ。(POPKORNLOVE)


     


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